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長崎市長は何を考えているのか

長崎の被爆体験者を被爆者と認めるか認めないかの裁判で、一部が被爆者と認められたが、一般人に取っては爆発地点からの距離で被爆か被爆でないかを決める根拠がよく理解できない。天気でも道挟むだけで雨か晴れか違う、決して距離だけで爆発の影響を判断できないと思うのだが。裁判はともかく、長崎市はなんで被爆体験者を差別するか不可解だ。先日の式典には、イスラエル大使館に招待状をださず、多くの外国来賓の訪問キャンセルとなった、すこし長崎市長は独断すぎるだろう。式典は被爆者のものであり安全上の問題からガザ地区で戦闘を続けるイスラエルは危険だとして拒否したが、肝心の地元では被爆者そのものを差別している。本来は市民を保護し、被爆の後遺症に苦しむ市民に救いの手を差し伸べるべきだが、結局政治ショウとしかみたいない市長かもしれない。地方自治の根幹を揺るがす事例は兵庫でも起こっている、おねだりという悪質なワイロ要求に対し、公益通報が行われたが、あろうことか、通報された事実も確認する前に通報者を探し出し処罰するという、知事及び副知事の悪巧みは、独裁新興国の大統領のような所業でもはや民主主義などなきに等しく、糾弾されている現在でも知事職に固執し辞表を出さない性悪な精神は極めて教育上も道徳上も政治道義にも反する狂気だ。さて、今は自民党の総裁選挙が始まっている、候補者の考えには次の日本の命運もかかわるので要注視しなければならないが、極めて妥当な出馬表明をする方がいる一方で、総理のポストや大臣のポストが欲しいだけで体裁の良い反日的な考えで人気を得ようとする売国的候補者が多数見受けられる。かれらはうまい口を叩けば人気が取れると思うのだろうが、なんの哲学も思想もなく、結局反日的な国家を単なるおねだりの票田としかみない輩であることを自ら表明しているように見える。アメリカも大統領選挙がある、公明党も委員長が交代、どこもトップが変わる、いまだウクライナ、ガザ地区の戦闘もある、世界も変わる中で如何に日本を守るかが次の総裁の力量に掛かっている。本当に国民のことを考えているか、それとも国民のことを考えている振りをしてポストが欲しいのかは裁判ではなく、選挙でしっかり決めなくてはいけない。

内山家政婦看護師紹介所

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