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犯罪天国である日本

大阪での放火殺人事件は犠牲者が25人になりました。誠意で治療してくれた医師や同じ病気の仲間を一瞬にした殺害した男に一切同情はしません。そもそもこのような犯罪が日常茶飯事になってしまったのは、まず、加害者である犯罪者に甘く、被害者に冷たい日本の社会性にあります。日大の親分理事長をもればわかるでしょう、如何に犯罪的行為をしてもだれも咎める者がいないのです。悪いいたずらをしてもだれからも止められなければますますエスカレートして目立つことをするようになるのです。犯罪天国の日本にはまず、警察官が少なく、防犯環境が乏しいという現実もあります、つまりは安全はタダであるという風潮が染み付いているからです。そして犯罪がいくら増え、低年齢化し、または高年齢化し、巧妙になり、いまだに高齢者をだますオレオレ電話被害が年々増えるかと言うとやはり警察の実質的は体制が不十分だからです。たしかに防犯カメラで検挙している事例はニュースで見ますが、大抵は半年以上前に発生した事件がいまごろ検挙されるなどおかしいとは思いませんか、警官が少ないので、結局時間がかかるのです。そして裁判の陳腐化、はっきり言って裁判官はほとんどが無罪判決をだすか、刑量を大幅に少なくし、大事件を起こしても数年で出所させてしまうからです。裁判官ではなく誰もが参加する裁判員判決で死刑をだした凶悪犯も二審の裁判官が死刑を回避させます、これでは裁判員裁判の価値がありません。もちろん、国会議員は刑法は憲法同様タブー視し一切現代の犯罪に適合した罰則による刑法改正はしません。ひどい話です、これが法治国家なのです。そして極めつけは法務大臣が死刑署名すず死刑囚を決して執行しないから、だれもが死刑になることはないと思い犯行を重ねるわけです。これが中国のように日々日常死刑があればだれだって犯罪に対しての抑止力を感じるはずです。以前も死刑制度の必要性をここで論じましたが、きちんと国会議員はこのコラムを読んでいるのでしょうか。
さて、話は別の次元からですが、いまは犯罪者といえども人間であるから、まず国家は更生させ真人間にすることが必要と言う性善説にたった犯罪理論に基づいて新しい刑法の仕組み、刑務所の仕組みを取り得れています。多くに国ではそういう人間性に基づいた理論で死刑も廃止してます。人を殺した者だからと言って国が死刑にしていいかという理屈です、まさに神様のような理想論ですばらしいですが、それは仮説です。仮説の基づき半世紀以上、犯罪者の更生に莫大な労力を掛けてきましたが、だれひとり更生して立派な社会人となり社会に貢献した人がいるのでしょうか。まったくいないとはいいませんが、多くは失敗であるという事はその仮説は間違いがあると言う証拠です。はっきり言って人間は目的があります、それは生まれる前から持っていたかもしれないというようなレベルの目的があります。それがノーベル賞を取らせたり、多くの人々を歓喜させるスポーツマンのように世界に貢献する目的もあれば、だれかを殺したい、傷つけたい、財産を盗みたい、物を破壊したいという願望を持っている人はたくさんいるのです。わかりやすい例がテロリストや暴力団関係をみればいいでしょう、かれらの目的のためにはなんでもします、だからこそ、国会は刑法をもって処罰する必要があるし、それが社会の安全を守るための必要な処置なのです。決して犯罪を甘く見ないこと、なぜならそれは目的があって行われることなので、たまたま偶然悪い道に行った不幸なひとではないのです、つまりは更生させるのは無理です、かれらの目的を遂げさせれば改心すると思っているのであれば、それなら犯罪の目的を遂げさせてください。犯罪者に何人か会いましたが、かれらは警官も恐れません、裁判所も恐れません、きわめて非社会性を身に着けていました。良心的な現代犯罪理論の刑法学者方はそういう事実をみないで、とにかく世間で評判になる見え透いた論文でやれ犯罪者を更生させろといって名誉を得て銭を稼ぎますが、それも目的があるからやっているニセ学者なのです。そして、結論をいえば、あすもあさっても何十人も何百人も普通の人々が犯罪者の犠牲となって、残された家族は泣く泣くニュースを見て悲しむという事だけが永遠に続く社会であるという事です。

内山家政婦看護師紹介所

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