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宗教に対応できない政府

統一教のことでようやく政府が動くという、国葬も重要だろうが、悪質宗教を放置してきた責任をどうすのか。いとも簡単に宗教法人と認めても、詐欺や強要をさせても許可を取り消すこともできない体たらくなら、認可する権限など無いに等しいだろう。憲法屋のごとく、日本人は「信教の自由」と言われたら最後、オウムのように戦争の準備や、誘拐、サリン攻撃などしても何もできない。これでは一度宗教法人というお墨付きをもらえば、聖戦だろうが詐欺だろうが自由自在、正に神の手を日本政府は与えるということだ。信教の自由は何も法人化しなくても自由だということだ、つまりは内心で神や仏を信仰するのは人権として当然の権利であるが、他人を騙したり他人の権利を侵害したり、果ては犯罪行為をする自由ではないということだ。今の宗教関係者および政治家、そして一般国民も理解できないから、信教の自由と言われただけですくんでしまう。おそらく、のらりくらい統一教は自己弁護し、それを文化庁の宗教関係者なる知識人や評論家は黙って黙認するだけだ。コロナの評論家や専門家をみても理論もクソもなく、自己の思いつきで判断するようではとても医学や科学を信奉するということではなく、たんなるタレントにすぎなかった。もちろん、公明党のように政教分離していない政治団体があるから、深く突っ込めないだろう、国家神道や過去のキリスト教団圧もあったのは事実だ、しかし、もしキリシタンを許したら西洋列強の植民地化の可能性もあれば正しい政治判断だったといわざる終えない。政教分離は国是として、いまでは地鎮祭すらできない状況だが、本来宗教は宗教で関わるには問題の無い行為だ。これを取り違えて政治と宗教を混同するから、やれ宗教団体が政治に関与していいながら、影で公明党になるわけである。まあ、一個人としてどの宗教を信仰し、どの政党に投票するかは個人の判断であり、宗教と政治を分離するという理由で人間の体を引き裂くことはできないだろう。とにかく、宗教だろうが、政治だろうが、悪いことは悪い、できないことはできないとハッキリ言えないような人間が宗教問題首を突っ込まない方がいいだろう。無念なり安倍元総理。

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