今回のサッカーワールドカップは決勝戦、スペインが1点を守り切り優勝した。前回王者アルゼンチンも最後の最後まで死力をつくした激闘だった。これがサッカーである、引き分けでもいいというボンクラの監督がいる限り永遠に優勝はないのだ。かわいいとかおとなしいとか礼儀正しいとかは、なんら監督の要素ではない、そういうためにコーチやスタッフがするのは良いだろうが、監督自ら整理整頓を考えるというのは監督の器ではない。ここ十年この監督は成長も進化もしないで、ただひたすら良い子であることを見せたかったのだ。高校のサッカー部監督じゃあるまいし、一点、一秒に最後まで激闘する選手を率いる人物ではない。それだけの厳しいから、かってにルールを変更し、レッドカードを無効化したりハーフタイムでショウを繰り広げさせたアメリカ大統領のパワーは恐ろしい、監督などの存在すら凌駕するのだから。日本も闘士ある監督を至急選出しないといけないが、その前にサッカー協会首脳が先見性や実効性で鋭い見識をトランプ大統領のように決断する人物でなくてはいけない。イチ監督の趣味ではなく、全サッカー選手を統率するのはサッカー協会なのだ。
さて、イランがまた混沌としてきた、あくまでも負けを認めず、未来永劫異端イスラム教の指導では世界はたまったものではない。スンニー派が主流の世界で、ひとり良い子になっているイランのシーア派は、意味も無く世界に刃向かい、自己正当性を主張し続けている。おそらく和平をきちんと合意しても裏で着々と核兵器を作り続けるだろう、トランプが容赦なく攻撃する意図もここにある。しかし、イランもまた数年で消滅するだろう、宗教的正当性が核兵器を持つことであれば、それは神への冒涜以外の何物でも無い。神は核兵器を必要としないのだ。神は武器も必要としない。他者を殺す事を目的とする宗教は、自分が良い子であるという裏付けのために試合とは違うことで褒められたいという精神とおなじ、結局、まがい物の宗教はまがい物の核兵器という偶像に頼っているに過ぎない。







