また幼い命が父親に奪われました。教育員会が女児のメモを父親に見せればだれだって激怒します。おそらく怒鳴られて自己弁護のためにお宅の子供がこういう言いつけをしたから私のせいではないという保身が見え隠れします。明らかに取り返しのつかないミスであり、教師、教育委員会としてありえない対応です。秘密を守る誰にも見せないと言われて、しっかり教師が父親に見せたというのでは浮かばれないです。こういう理不尽な死を招いた場合、死んで霊魂となって世に災いなすのではないかという学説を打ち立てのは昨日亡くなった梅原猛先生でした。するどい観念で、事実法隆寺は聖徳太子を祀るために再建された寺院であり、多くの神社が当時憤死した天皇豪族武将の怨霊を神として讃えることで祟りからのがれてきたのでした。日本人固有の極めて民族的な思考であることがわかります。極端に言えば、殺した強敵が死んでも悪霊となって災いとしないよう、神の一人として日々祈ることで、敵の霊魂も救われるのです。縄文からや弥生という文化の大統合や、その後の日本の成立まで多くの対立を乗り越えることができたのもこういう思考システムが出来上がっていたからです。これを理解できない外国人や日本人は本当の日本をわかることができないのです。実際私も勘違いしていますが、A級戦犯がなぜ戦没者を奉る靖国神社に祀られたかと言うとそれは、戦犯は悪霊、怨念となって日本を呪わないようにするためです。そうとしか考えられません。戦時裁判で死刑ですから弔う場所は靖国神社しかないのでしょう。現実に先の戦争で理不尽な死を迎えた方はすぐに日本人に生まれ変わり現在反日活動をされています。いかに、そういう人々を靖国神社で弔うことができなかったからでしょう。国を上げて靖国神社を参拝することが日本の平和につながると思います。逆にそういう日本の哲学を知った反日国家が妨害するのは怨霊を怒りさせようとしているのかもしれません。怨霊は、地震、津波、台風、豪雨、豪雪、噴火ありとあらゆる天災、事故事件を引き起こします。一人の人間では天災などにかなうはずもありません、日々天に感謝し、天に恥じぬよう生き、理不尽な行為で人を傷つけるなという戒めを持っていなければなりません。