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社会は法律ありきではないようだ

弁護士試験に落ちても再度試験を受ければよいが、金を借りても賃貸借ではなく贈与と言い張るとか、都合のいい様に法律を使うのは本来の筋ではないだろう。いつも国家議員は法律も作れないと苦言を呈するが、法律を作ればいいというものでもない。憲法学者が勝手な解釈で本来の憲法の目的、国家の存続すら危うくさせている状況では、法律家の本質を問われ、そこに挑戦しようする若者の将来を危うくさせてします。難しい判断を要するが、要は法律ありきの法律ではなく、人間ありきの法律であるという感覚が肝要だと申し上げる。人間同士がどこが問題なのか、どうすれば解決されるかが大事で、頭ごなしに法律だと主張すれば単なる喧嘩、戦争なのだ。そうであるなら、条約も同じ、ある国と条約を結び合意し問題解決してもまた問題点を蒸し返し、繰り返し非難中傷するなどという国もある。これは逆に人間ありきなので合意など意味がないという趣旨かもしれないが、はじめからそういう魂胆で合意し条約にするなら、正に人間関係が存在し、信頼関係に至ってなかったという証拠である。つまりは人間以下の集団などと話し合う余地もなかったことになる。そういう信用してはならない人々との口約束は一切すべきではなかったと申しておきたい。未来永劫壁の向こうに置いて交流しないということが最も妥当な方策である、それでだれもこまりはしないのだから、人間関係がなければ法律関係もなし、それが法律家の精神であると思うし、実際反社会勢力と手をきることで社会を維持する手段として機能しているのである。

内山家政婦看護師紹介所

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