専門が「労働法」と「憲法」の二つであるが、憲法学者の議論がおかしいとは以前から申していたが、ウクライナ危機を目の前にして、憲法の改正は必須になった、というより遅すぎたという感じだ。今日にもロシアが攻め込んできたら、福島瑞穂はどう私を守ってくれるのか聞きたい。さて、根本的に現在の憲法は戦争に負けたことが成立根拠であり、その前提では、いくら憲法学者が屁理屈をこねても詭弁にすぎない。そして憲法となった以上は、第9条だけが尊いのではなく、すべての条文が尊いということである。第9章には改正という一章がもうけてあり、当然これは憲法は改正できますよと言うことだ。この章がなければ憲法改正まかりならぬと言うことになるだろうが、はじめから改正をきちんとうたっている以上、改正ができるし、改正についてなんら範囲や限定はない。故に、もし憲法で時代にそぐわないものは粛々と憲法改正することができる。たしかに硬性憲法で必要条件を満たすのは大変であるが、やるかやらないかは最後は国民が判断すればいいだけで、議論する前に議論のための議論が長すぎるというか、はじめから改正する気が無いとみているのは私だけではないだろう。福島氏も中国軍とかロシア軍が来たときに私の家の前で番兵に立って戦死するより、日本憲法が及ばないウクライナに義勇兵に行くということも良かろう。少なくとも、欽定憲法である明治憲法ではない、日本国憲法は国民の意思で決定されたと言い張るなら、是非、国民投票にかけて是非を問うべきである、それをしないなら詭弁だ。事実として国民投票で可否を決めるというのが民主主義だ。これが否決でもされるなら、つまりこれまでの憲法学者は嘘をついてきたという明白な根拠にもなることだ。国会議員は無駄な議論をやめ、粛々と改正条文に則り改正することが仕事であり、そのために金をもらっているのだろう、まさか給料泥棒とかの詐欺師ではないと思うのだが。このごろは役人も詐欺師に成り下がるということは憲法上問題ではないのか、ただし、憲法擁護は公務員の義務でも、憲法を改正する権利は国民にあると認識すべきだ。