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広島長崎を出したら正当化されるのではない

イランの核開発を爆弾投下で終わらせたと思い込んだトランプが広島長崎を例に挙げて力による制圧を正当化したようだ。そもそもリメンバーパールーハーバーのとおり無通告でステレス爆撃をするのは良いかどうか。まあ核兵器を作らせないという意図は正しいので今更問題にもしないが、原爆の死没者に対し失礼の極みだろう。離婚の際に相手をぶん殴ってハンコを押させて、これも前の妻との離婚もこれが決めてだったと言われたら、前の妻も怒るだろう。そんな暴力を振るう輩に平和的な話し合いは無意味だ。ところで原子爆弾をはじめ第二次世界大戦は人類による神への挑戦であり、ヒトラーはじめ各独裁者たちは自らを神として市民を服従させ敵を虐殺蹂躙殺害しそれを神でアル自らの使命だとして正当化したのである。それまでは経験な信仰として教会や寺院で神の加護を祈った人々も、今や科学文明のもと神々を隅に追いやり生活しているのだ。今の時代、神を信じろと言われて何人の人が従うだろうか。ただ、日本は神へ挑戦ではなく太平洋戦争は江戸サムライ時代への終わりのための戦争だった、前にも述べたがくすぶったいた武士の憤りが太平洋戦争で昇華し、ここではじめて民主主義とか科学主義が日本に根付いたと考えるのだ。さきの戦争は沖縄地上戦、東京爆撃、広島と長崎の原爆が4大悲劇であり、象徴的な傷跡であるが、なぜこれらの地域が壊滅したのだろうか。それには神の意思もあるかもしれない、京都や奈良ではなく、神の島である沖縄は日本の原点でもいにしえからの辺境の神の島で、長崎はまた日本にないキリシタンの歴史がある。沖縄と長崎は日本主流の神々ではなかったので第二次世界大戦の神へ挑戦の犠牲となってしまったと思う。では広島と東京はどうか。江戸幕府の中心は東京であり無血開城するため幕府のサムライは無念を抱きながら江戸を去って行った。広島は反幕府勢力の筆頭長州藩であり、結局幕府と反幕府の象徴的な地点が攻撃された、つまりはサムライの終焉だったのだ。このように日本は神への挑戦もあったが、根本は江戸時代サムライ精神が滅んだと言うことであり、古代の神の島沖縄と異国の神である長崎こそ犠牲になったが京都奈良など日本古来からの宗教は生き残ったのだ。比叡山も高野山も永平寺も戦争とは無関係に発展しているのだ。さてさて、イランの核兵器はとりあえず沈黙したが、広大な基地を完全に叩くことは不可能であり、いずれはイランの核武装は現実になるだろう。これもまた神の意思として、その報いを人類は背負うことになるかもしれない。神を畏れぬ人類に神の鉄槌は振り下ろされても自業自得と考えるべきかはおのおの考えてもらいたい。人間は選挙のように自分の意思を明確にできるところまで進化した以上、神の作り出した宇宙にも責任があるからだ。

内山家政婦看護師紹介所

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