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ミサイルがたくさんあっても食べられない

統一教会がまたもや名前を変えて存続しようとしている。どれだけの悪行を行っても、どれほど世間から非難を受けようとも、カルトに洗脳された信者にとっては心のよりどころ、これまでの血と涙と金と貪り取られては、行くところもないし、損した分を取り戻すために教会存続を望むかもしれない。それはオウム真理教も同じ、一度はまった罠を振りほどくのは極めて大変だというのは分かっている。根本的に人間性の弱さを狙うこれらの宗教を語る詐欺グループにはほとほと世界は手を焼くのだ。イランも革命防衛隊がアメリカの戦闘機を撃ち落としたと息巻いている。相当数のミサイルとドローン、それに民兵など戦力は保持しいるようだが、結局武器や兵士がいくらあってもイラン人の食料と水はないのだ。トランプは石器時代と戻すというが、そこまで行かなくともプルシャ時代にはなるだろう。これまでの圧政で押しつぶされるイラン人民に化石の如く苦難のイスラム修行が始まるのだ。自らを鞭打ち練り歩く姿は今のイラン人の姿そのものだ。そして、イランにはどこの国も同情を示すこともない。ホルムズ海峡を通せんぼして、周りの国々にミサイルを撃ち込めば同情より非難しかないのだ。ハメネイ神父が殺されたのも自業自得、これまでの悪行で大もうけをしてきた革命防衛隊の親分であれば当然の報いとも言える。さて、政治とは区別することである、敵と味方、どちらに別れるか、どちらが強いか、そのい区別をするのが政治なのだ。自民党が味方である選挙民を獲得すべく、反日野党と区別する政策はまさに政治そのもの。イランを排除し、アメリカの正義を強化するのも政治、その区分されたなかでどちらに味方し、敵するかで世界は分断される。敵の敵は味方かもしれない、味方の味方は敵かもしれないが、結局より強い者、より多数の方が政治的には風上側となり有利な立場を取れるのだ。逆に他からの影響を排除して孤立化し、少数の洗脳できた信者のみを囲い込むというのも政治的な戦略だろう。まともに戦えば多勢無勢だから、はじめから壁を作って、壁の内側だけを味方だよと洗脳しすれば、自動的に壁の外は敵だと信者は認識し敵対する。要はイランも統一教会も、自分たちだけで自分たちが世界の中心だと信じ込んでいる引きこもり集団であり、ミサイルをご馳走に最後の晩餐まで他人の不幸を呪うだけの集団なのだ。結論を言うと、壁の向こうの人々の目を覚まさせるのは難しい、安住の地である壁の中にこもって動かないからだ、もちろん余計な支援や救援はまさに中毒を蔓延させることになる。直接イランに何もせずに、静かに周辺を洗っていく、つまり中国習帝国と言う禁断の麻薬性思考から遮断して、巨大な空洞化を狙うことがイラン復興のための最初のプロセスなのだ。

内山家政婦看護師紹介所

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