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自己責任なのか

DSC02028埼玉県を卑下し侮る映画をやっていましたが、ほんと爆笑ですが、埼玉のひとからみればヘイトスピーチなのでしょうか。千葉県もひどいいわれ様ですが、地域格差はやはりあるのでしょう。「草を食っていろ」と言われたら北朝鮮の人々は皆草しか食べ物がないようです。ひどい国です。如何に独裁国が国民を食い物にしているかの例でしょう。川崎市がヘイトスピーチを禁ずる条例をつくるそうですが、神奈川新聞はじめ、川崎市は根本的な人権保障の責任もたなければならないでしょう。単にヘイトの発言を禁じるなら独裁国と同じです。根本的なことは人権保護であり、川崎市のさまざまな人々への基本的人権を全て平等にする責務を川崎市は負って対応するようお願いします。話変わって実は、引きこもりの問題も、引きこもるのは個人の自由でしょうが、それを無理やり保護者が何とかしようとすれば逆に処罰されるかもしれません。つまり基本的人権があり個人の自由なのですが、そのためにだれも責任を負わない社会になって来ています。自由の裏には責任があり、いくら引きこもっても結局その責任は本人が負うことになり、最後は貧困や犯罪につながるかもしれません。それでも自由を主張するのか、自己責任で社会に復帰するかの選択でしょう。話を戻すと、市原市は横暴な研究者に対し、条例でチバニアンの研究に対応した処置をするそうです。曲学阿世的なエセ学者の自由で学術研究を止めてはなれぬという地方自治の責任を果たしたように思えます。国も消費税の増税はいかがなものか、責任を取れるのでしょうか。財務省官僚は出世できても、国民は草を食べる可能性もあるのです。東京と地方ではまるで景気が違うのです。アメリカは1929年の大恐慌に見舞われ、国民の大多数が失業しました、仕事もなく、金もない家族が道端にあふれたそうです。ですから、アメリカの根本的なトラウマは二度と大恐慌を起こさないという強い意志が今でも存在しています。しかし、日本は戦争をしないというトラウマばかりで川崎市同様隣国に土下座しか脳みそにないようです。根本的に自由を得るためには自己責任が必要です。自分に責任を持たず、自由を主張するかぎり、いつかわが身にその付けが回ってきます。いかに研究妨害をするのも自由だと主張しても、結局、学者としての無責任は人々からヘイトされるだけでしょう。本当に近代になるまで、多くの学者が地球は平らで、人類をつくったのは神であるという論理を主張していました。これも学問です。旧たる学説を否定することで新し論理が生まれるというのも科学の世界です。もちろん、賃借料を設定して研究させないというのは理論でも理屈でもありません。世界中の人々に笑われてしまいますよ。

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