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起こってから考える危機管理

安倍元総理暗殺事件、もう危機管理以前の問題ばかりだった。そもそも国家公安委員長は引退間際でやる気も無く、その他の警察警備の官僚やトップの者は危機管理も知らずに、緊張感も無く慌てるだけ。組織も不備だらけ、連絡や連携もなし、確かに急にスケジュールが変わって奈良に乗り込み不手際だらけだが、そういう時に限って強固な殺意を持って用意万端、強力な兵器を習熟した殺人犯が間近にいたのだから、はっきり言って無防備状態だった。運が無いと言えば最悪の運命だった。ほんのわずかでも逃げるチャンスや、少しばかりの警戒感があれば普通に避けれたはずの幼稚な犯行が見事なまでに一部の隙も無く実行できたのは、日本の危機意識が全く存在しなかったという証拠以外の何ものでもない。運の悪いときには本当に何重も不運が続くものだ。ミッドウエイ海戦では百戦錬磨の連合艦隊の一瞬の好きに米軍の急降下爆弾を避けることができなかった。東日本大震災も津波の報告書は見捨てられ、十分な備えがあったにもかかわらず、最後の予備電源すら持ち込めずに破綻した、当時の菅直人政権の妨害も不運の元凶でもあり、これも如何に危機管理が日本ではできていないかの証拠だった。首里城は消火器すらなくて火柱を眺めるだけという体たらく。結局今この瞬間危機がきたらどうするかを考えている人間は日本にはいないということだ。かろうじてコロナでは多くの病院、中国の侵略行為にたいしては自衛隊、地震は消防、事故事件は警察が頑張っているがそれは現場サイドだけということ、本部で指揮するトップの人間は精々天下りのことしか頭にないということだ。もし今大地震でも送れば、危機管理関係のほとんどはうろたえるだけで何も指揮はできないだろうと言うことを、奈良の事件は明確に証明している。いっそ、国は二十四時間の国家の安全をアルソックかセコムにでも委託した方がいいのではないか。

内山家政婦看護師紹介所

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