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宗教という名は、何でも好き勝手の自由ではない

昔から宗教は人間社会と共に生きてきたものであり、信教の自由は人権、つまりは人間の基本的な権利として尊重されるものである。つまりは織田信長のような比叡山焼き討ちは言語道断であり厳重注意だろう。とはいえ、キリスト教同士の虐殺や戦争、イスラム教との闘い、もちろん原理主義の自爆テロ、さまざまな神を名乗る、または宗教を名乗る破壊、略奪、殺人は実は人類の歴史をみれば日常茶飯事だあるということだ。今時の安易な倫理でなんでも、信教は自由、だれも宗教を尊重すべきだにはならないのだ。そもそも、現代の宗教自体が極めて曖昧、寺社仏閣は信仰の対象ではあるが、ほとんど観光目的であり、日々どれだけの人間が修行をしているのだろうか。そんな建前はどうでもいいが、統一教会に解散請求をようやく文部科学省が裁判所に請求するという、遅きの一言だ、すでに財産のほとんどは韓国に持ち去られ被害者救済はできないのに、形だけ格好をつけたのだろう。前の文部科学大臣は腰砕けで逃げてと言うのが実のところで、まだ大臣が替わって速やかな対応だとは評価できるのだが。とにかく、憲法を楯に、宗教を楯に、自由好き勝手に犯罪行為、人権侵害を起こすことはできないということだ。過度の信教の自由の弊害で、実際には多くの宗教まがいの団体が莫大な財産を詐欺のように人々から奪い取り氷山の一角なのだから、今後は他の団体も成敗することが必要になる、与党公明党だよ、創価学会等々、それ意外にもエホバのように輸血をさせない団体もあるし、それらは死に際の人を入信させ、死ぬと同時に全財産を教団に寄付させていることを国会議員は知らないのだろうか。まあ、池田大作氏ももう生きていないにもかかわらず、相続を行っていないような感じだ、ここは推測かもしれないのですいませんが、公にまずは公開してもらわないと、誰もが推測で物を言わざる終えないのだ、つまりは統一教会ももし反論があるならきちんと説明するべきだ、説明もしないで、ただ一方的に宗教の自由だと韓国の宗教団体を名乗る連中が日本国憲法を楯にするなら、いちど教祖はこちらに説明に来るべきだ。説明を聞けばこのコラムももちろん間違いを修正し、お詫びするが、説明もしないで、今後も合同結婚だとか、多額の寄付の強要だとか、信者を窮地に追い込む洗脳とかを続けるのであれば、正に宗教という名の暴力、犯罪集団である。事実、イスラムテロのような反人権の温床は、宗教法人として政府が認めることはするべきではない。もちろん、勝手に何を信じるかは個人的には自由であるのだが、何度も言うが、免罪符のように法人格を与える愚かな国は、基本的人権の根本は何かをしっかり認識すべきだ。

内山家政婦看護師紹介所

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