中国では就職難だそうだ。超一流大学を卒業した博士や修士たちが、デリバリーサービスや炭鉱夫で活躍するそうだが、日本でも私のような超天才でもなんとか日々暮らせる収入なのだから、どのような仕事でも立派な労働であり、中国の若者の未来に祝福を祈るものである。さて、徳川はサムライ文化であった、つまりは主従関係で成り立つが、良い考えてみればそういう主従に服するのが侍だろうか。侍となればまんじりと従者となるのではなく、自らの実力で天下を取ろうとする気概ある者も出てくると思うのだが。つまりは侍社会では、世の中が行き詰まればすなわち戦乱の世になるのは当然である。これが貴族であれば、天下で決められた役割に律することが社会身分の究極の選択であり、その制度を壊すことは自らの存在を否定し、社会自体を破壊することになるから、貴族社会こそ安定した社会が構築されるのかもしれない。さて、侍精神が廃れた現代社会では、新しい貴族として国会議員の世襲制がある。これまでの総理大臣や大臣経験者などは半分世襲だろう。今は小泉が農林大臣をしているが、この御仁は四代目の議員で、親の小泉純一郎は総理大臣だった。つまりは若くして国会議員となり総理大神となるのは当たり前と思っている輩でアル。そして小者貴族である自民党の議員どももこういう世襲議員のおこぼれに預かろうとしている。実際に政策を立案し政策を実行するのは財務省なのだから、はじめから財務省のご機嫌を取りさえすれば世襲の地位は維持され、最後は大勲位の勲章をもらうのというのが彼らの生きがいだろう。おろかな、これが日本のバカ世襲の社会のである。こういう退化した世襲議員は、どこかの国の人民革命共産党による世襲大物党員による国家独裁制と同じであり、いつの日か博士や修士の学生が就職できずに路頭に迷うような世界になると超天才は憂うるのである。