如何に強大な帝国でも、瞬く間に衰退し滅ぶ地域は過去から幾万あった。これの中核思想は中華思想そのものであり、全権力を皇帝一人に集中し、皇帝独裁の人治政治が唯一独裁集中制しか存在しないという社会性の重大欠陥の影響であるのは明白だ。日本は当所は大君が政の中心として天皇制となっていったが、その後武士階級の隆盛により幕府体制との共存となった。武士は結局の所、地方地方に分権し、かつ武装で競う以上戦乱の世になるのだが、お互いいつまでも真剣でどちらかが死ぬまで殺し合うまではしなかった。そこでお互いを協調するために法治制度で組織制度化するという国家体制を作り出すことになる。いちど法治国家になれば、法律が独裁者に代わり機能することになる。いわゆる合理主義、現実主義の思想が政治の中心となるのだ。その後、植民地から独立した民主主義国家アメリカに敗北したことで、瞬時に法治から民主主義体制に変化したのが日本の現在である。古代天皇による人智から武士団の法治へ、さらに民衆による民主制という国家制度の変遷は日本の進化の証でもある。もし4千年前の中華思想のみで独裁国家を維持することを行っていれば、いまだに太平洋に浮かぶ貧しい人々の集まりに過ぎなかったかもしれない。滅ぶ国に服従する国会議員達は論外であるが、中華独裁や共産主義の衰退を横目で見ることで、さらなる日本の発展があるということが日本の約束された未来でもあると、終戦記念に会わせて申しておこう。