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公明党ハムレット斉藤のサビの歌声

斉藤鉄夫公明党代表の引き際は見事だった。まさに見事な引き様で有終の美に相応しい、とても錆びた党らしい結末通りの幕切れ、終焉だった。これ以上の幕の下ろし方はなく、世界からの賞賛と拍手は鳴り止まない、まるでノーベル賞を得たような大断末魔の悲鳴が聞こえるようだ。さて、「生きるべきか、死ぬべきか」で死を選んだ斉藤代表は今後日本政治から党諸共引退してもおかしくはないだろう。共産党も社民党もおぼろげな灯火の影として余生を送るのか、いっそ令和新撰組に統合されるかもしれない。全てが全て、新しい政治が日本に必要だということだ。これまで通りの財務省官僚の支配の元に増税だけで生きる、親中国のもとに習キンペに付き従い服従死(?)、ハニートラップで腹上死(?)、岩谷や村上のような国賊政治家は追放されるだろう、まさにハムレット、容赦ない裏切りと暗殺で立法府が激変するのだ。さてイーロン・マスクのようなどうでもいい前置きはやめて、イスラエルとハマスの調停が進み平和へ向かって歩み出したらしい。そもそも、ハマスがイキがっても弾薬と食料がつきれば降伏しかない、いずれはロシアも弾薬と食料がつきると同じだ。しかし、あまりに興廃したガザの地をどう復旧するのか、見渡す限りの破戒されたコンクリートビル廃墟の街並みは、虫国の廃墟群もビックリの様相だ、あそこで生活を取りもどすなど不可能に近いだろう。それでも戦争を続けるよりはましだが。とにかくこの2年間の無駄な戦禍はひとえにハマスの無茶な意固地さが発端である。歴史的に双方に言い分があり、常にイスラエルはイスラム教徒対立してきたが、遊牧生活の人々と宗教的な定住生活の人々は共存できる立場にあってのを宗教を持ち出して怒りと破壊をもたらしたのは、政治の無力さでもある。宗教と政治、相容れない思考体系で同じ土俵で表現するとどこの地域でも混乱と破綻を招くといういい例だろう。日本もきちんと政治と宗教を区別して政治の場から宗教団体を放逐することが憲法上重要なのだ、もちろん国会の外で、国会議員が何を信じようがお参りしようが信教の自由は守られなければならない。虫国のように共産党だけが信仰で、それ以外のいかなる宗教も弾圧されるのは近代国家としてはありえない人権侵害である。もちろん、政治や行政があらゆる宗教行事に参加できないというのも行き過ぎた解釈である。神社の地鎮祭、寺社の戦没者の慰霊、その他様々な祈りに神仏を無視することが独裁者の暴走の引き金にもなるのだ。生きるべきか、死ぬべきか、それが本当の問題ではないのだ。

内山家政婦看護師紹介所

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