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クリスマスイブに送る

イエスキリストが生まれたというベツレヘム、いまでもガザは戦乱にある。聖人イエスキリストも罪人として磔に駆けられたというが、民衆の敵が実は救世主になった瞬間でもある。さて、日本、靖国神社に高市総理が参拝するかで一悶着を起こすのだろう、小虫国の手先である立憲と朝日新聞毎日新聞NHKの常套手段である。靖国神社については毎回言うが、当時の厚生省が遺族への保証として靖国神社における戦没者に登録する必要があったという、また悲惨な最期を遂げた方々の悪霊化を防ぐという大きな役割が神社にある。平将門や崇徳天皇を祭る神社があるというのも同様である。確かに、あれだけの敗戦で300万人の死傷を出した戦争責任から、戦地で戦死もしていないA級戦犯を祀るというのはなかなか受け入れがたいという人情も理解できるし、実際私も何でという疑問が当初からあった、しかし、このごろはもはや歴史の中の一つの出来事に過ぎず、鵜呑みにすれば戦争犯罪だというのは小虫国の思うつぼだという感がする。はっきり言って、日本は完敗した敗戦国、その苦しみは戦中戦後を生き抜いた我々日本人が一番知っている。敗戦国の事を日本に勝った、勝ったとあざ笑う小虫国や朝鮮から言われる筋合いはない。まして実際に戦ったのは台湾の国民党であり、朝鮮に至っては日本の一員だった連中なのだ。闘いに負けると関ヶ原の石田三成、西南戦争の西郷隆盛等々、反逆者や敗残者として勝者側によって葬り去られたが、それは負けたからであって、敗北イコール悪ではないのだ。今では徳川家康は日光東照宮に祀られているが、それは勝った証であり、必ずしも豊臣の代表として戦った石田三成が悪だという証明ではない。不運にも敗者となった者とそれに付き従った者、彼らは負けただけに過ぎず、かれらも正義のため、国家のために命がけで戦ったにすぎない。日本を侮辱する目的で、戦犯うんぬんとずる賢い連中は脅し、揺さぶり、非難するが、負けた国そして負けた側としてその国家のための死者を弔うことをためらってはならない。なんで負けたかは時の運、もし、自分が負けたとしても社長や親のセイだと責任転嫁するのは間違いと同じだ。反対に負けたから今の平和国家日本ができたわけであり感謝すべき人々だと思う。まさに日本の救世主がいたから日本は民主主義平和主義国家として世界から賞賛された事を靖国に報告感謝すべきだ。おそらくあの敗戦とは過去の「日本」が玉砕したということだ、いまでは戦前のような不自由感は絶無だろう、とにかく敗残国玉砕国日本が誰を祀ろうが他国から文句を言われる筋合いはなく、まして日本国内の反日勢力の靖国非難は天に唾する愚弄であり、磔のキリストに唾する人々と同じだと言っておこう。

内山家政婦看護師紹介所

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