憲法記念日、日本国憲法下で70年、たしかに戦後復興の日本にとって革新的な内容の憲法は日本に民主主義と経済発展をもたらした。結果をみれば決して悪い憲法ではないが、さすがに制度上の実体と違うとか、新しい項目も追加する必要がある。これらを選挙のたびに改正だとか、改正反対だとか声高に言って選挙に当選する人々がいるが、絶対改正はしない、なぜなら改正したら選挙で言うことがなくなり、落選するからだ。国民をだまして改正する改正すると言い続けることで自民党も社民党もどの党も国会議員になり続ける、結局憲法と違う、憲法に書かれていないとか関係者は憲法違反だと身の置き所がなくなっているのだ。国会議員でも一条でも法律案を作った人は皆無だ、だれも法律さえ作れない立法府の議員がまして憲法改正案を一条たりとも作れないだろうな、法律を作れない人々を国会議員にすることができる憲法は、憲法そのものが間違っているという明白な証拠だ。もし警察官に民主主義により誰でもなれるなら泥棒も警察官になることができ、結局悪貨が良貨を駆逐するように治安の維持が出来ないと同じなのだ。
古代、中世の歴史がないアメリカは南北戦争は奴隷制度のための基本的人権を掛けた国内戦争と思われがちだが、歴史も宗教の縛りもないアメリカでは、まさに南北戦争は経済戦争だったのが真実だ。イギリスから独立して、北アメリカ側は工業化し、国内で販売するには、購入者としての黒人奴隷をまず解放し、消費者にする必要があった。逆に南側は植民地のままで安価な綿をヨーロッパに販売したかった、それが南北お互いの利益に目が眩んで大戦争になったのだ。リンカーン大統領は黒人奴隷を解放した民主主義の英雄として見られるが、結局金儲けのための独立だったと言える。そして戦争が終わり余った大量の武器をどのように処分するかで候補になったのが幕末の日本である。アメリカの工業化で工場の照明に使う大量の鯨の脂を取りに多くのアメリカ捕鯨船が日本近海に現れたのは偶然ではないのだ。当時の日本は侍文化の祖である関ヶ原合戦の勝利者徳川家康を元として武士をまとめる幕府と、千年以上の天皇統治に変えるべきとの外様大名軍との衝突寸前の状況だったのだ。日本は現状の経済よりも、かれらの元となる江戸か京都かという経済度外視の歴史文化の闘いだったのだ。そこに間の悪いところに外人が来たから余計に大騒ぎになった。英語が出来ないから追い返せでは、アメリカのペリーは帰ることはなく、日本は開国への道を進むことになる。種子島の火縄銃は使いものにならず、最新のライフル銃を購入した官軍が徳川幕府に勝利したのも結局千年前の王政に復古しただけで中身は攘夷の外国人排斥という空理空論であった。もちろん外圧に弱い日本は開国して広く世界に門戸を開いたが、現代日本でもおそらく外圧か大きな災害にでもなければ自ら憲法改正は出来ないだろう、それが日本の優柔不断の歴史であり、はっきり言って天皇統治か、幕府統治しか選択肢が無い日本という偽民主主義日本の目に見えない最大の欠陥であり、民主主義の元に本当に憲法改正できるかが問われているのだ。







