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日本を去る者たち

日本に生まれた者は偶然ではなく、それぞれ意味があって日本人の一人となっています、私も90年の家業を継いでいます。代々と言っては語弊もありますが、誰かが誰かのために日本の歴史を形作ってきたわけです。特に高貴な生まれはえりすぐりの魂ではなくては生まれてきません、今日ニューヨークに駆け落ちのように去った者は国民の一人としてどういうことになるか注目はしています。気分的には特攻機に乗ってはみたが敵の空母に着艦して逃げた者を見ているようです。
しかし、国家と言うものは一言では片付かない社会性を持っています、つまり一度その国に生まれれば遺伝子から一つの組織に組み込まれています。たとえ100人の国でも、1億人でも、14億人でも、いや100億人でも国家と言う枠組みから逃れることはできないんです。もし逃れることができるとしたら「地球」という概念の全人類的な者の一員になることしかないでしょう。単に別の国の国民になると言うのは国籍を変えたにすぎませんから。そうすると、今日逃げ込んだアメリカ合衆国しかないでしょう。USAという社会は実は単体国家ではなく、ミニ地球の概念で構成されています。つまりあらゆる人種、民族、年齢、性別、貧富、多数少数、あらゆる宗教、あらゆる主義、あらゆる言語等々それらが混ざり合い、消えたり現れたり、さまざまな表現で全体で一つにまとまっているからです。ですから皇族だろうが、野党だろうが、白人だろうが、野蛮人であろうが、だれもがお互いに結びつき合って一つの社会を作っているのです。如何に中国人が14億人で世界征服をしようとも、それは一国主義にすぎず、世界的なグローバルな共通性もなければ普遍的な横断性もないのです、結論から言うと中国共産党も、ロシアも、イランも、そして我が日本も単独で世界を支配することは不可能なのです。もちろん地球レベルに達するには今のアメリカでも不十分であり将来さらに共通性と普遍性で世界を受け入れることが必要ですが、将来の地球はアメリカの未来像と重なると思います。ですから狭い日本から脱出することは否定はしませんが、では解放されて自由で平等な社会に溶け込めるかは本人たちの努力しかないのです、自由をつかみ取るために戦うのではなくて、逃亡することが自由であると誤解している人がいるかもしれませんね。ちなみに平和主義のために武器を捨てた人が野盗の奴隷になることがニセ平和主義者を憐れむ運命です。

内山家政婦看護師紹介所

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