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宗教は自由でも形式は必要

信教は自由です。それは歴史をみても人権からみても当然ですので、誰がいつ何を信じてもかまいませんが、他人を非難するために使ってり、他者と混同するとか、勝手に他の宗教の様式を使っていいわけでもありません。クリスマスを釈迦如来で祝うのもおかしいし、終戦記念日に行うのもナンセンスでしょ、つまりは勝手に自分の中で何を信じてもいいですが、社会に出るのは当然マナーがあります。ましていろいろな優遇や別格の待遇をうけるために国家の保護をうけるならなおさらですね。文部科学省で前川元事務次官が宗務課長のときに統一教会の名称変更を認めたそうですが、これが国家が悪徳宗教を承認し多くの被害者を生み出した原因とも見なされる可能性もあります。裏にはもちろん自民党や下村元文部科学大臣が動いているとの報道ですが、それはさておき、そもそも、宗教を扱う役所で、何でもいいから大臣に言われてポンポン承認していれば何のための国会機関かわからないでしょう。宗教法人と認証されれ税金がかかりません、それで誰もが宗教法人を取りに来るといっても過言ではないでしょう。しかし、そういう税金逃れでなくても、神様をつかった商売金儲け、詐欺では犯罪ですね、ましてや政治家を動かせば政教分離に反します、政治と宗教は区別しないと昔のような宗教戦争にもつながるからです。さらに豊富な文化財を保有する以上は、国宝などの維持管理も重要だし、宗教の教育的な面も考慮しなければなりません、なんでも自由だからと言って、地球は平らとかダーウィン進化論はおかしいとか言い出す宗教があれば現代日本では、特に日本政府は認めるべきではないのです、ましてやそれが輸血を認めないと狂気のような教義に支配されれば、それは不適切を指導するのが本来の役所のありかたです。昨今は個人の自由を極端に認めて、社会や国家の維持もできないようになっているのは、国家としても責任感がない現れです。役人たちは裁判なったらどうしようとか、難しいことは後任がやればいいと安易に無謀な申請を承認するので、もうだれも歯止めをかけることができません。安倍氏も今となって手遅れですが、特定の宗教を持ち上げるのではなく、どの宗教にも日本の総理としてこうあるべきとの宗教論をメッセージを全ての宗教に向けて発信すべきでした。

内山家政婦看護師紹介所

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