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なぜ、宗教を信じてしまうのか

統一教会への無慈悲に強要した寄付で、年間200億円が日本から韓国に流れ込んでいる。警察も家族も皆必死で止めても、本人は寄付をする以外の選択肢がない。しなければ地獄に落とされると信じ込ませられているからだ。おれおれ詐欺も同じ、子供のために金を出したいと願っているから確認もせずにいとも簡単に多額の金額を振り込んでいる。もし正気になら、真実を知れば反省位するかもしれないが後の祭りだし、本人は満足感で仕方が無いと思い込んでいるだろう。
科学好きの日本人がこうも簡単にニセの神に騙されるというということはなんだろうか。あれだけ熱意の塊のような姿を信じて投票したら、当選すれば「なんだおまえらは文句あるか」というような国会議員と同じように国民は騙され続けているのだ。つまりは国会議員は今度はしっかりやってくれると信じ込んでしまうのと同じ現象、いわゆる他力本願思想で満ち満ちているということだろう。といいながら日本自体も全てが実はアメリカへの他力本願だ。考えている振りをしても結局、アメリカが右を向けといわれれば右を向いているだけのことだ。そうなると何も決められないといういつもの政治になるという悪癖がはじまる。そこで、ハッキリ地獄に言われると自分で決まられない人々は従わざるおえないという構図ができあがる。堂々巡りのあげく皆地獄に行くのだろう。
でも、騙されずに自分の自由で生きたければどうするかだ、何を信じるかだが、それがわからないから変な宗教に騙されてしまう。国会議員を信じる方がバカなのだ、そして国会議員は悪魔の手先となって統一教会と手を結ぶ。結論は何も信じてはいけない、だれも信じてはいけない、もし信じていることがあれば全て一旦捨ててしまえということだ。自分の存在以外に、世の中に信じられることがあるということ自体が幻想なのだ。そう思っている。我思う故に我あり。

内山家政婦看護師紹介所

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