森山幹事長が辞意を示したと言うが、遅すぎるの一言に過ぎる。まして、石破個人に責任はなく、選挙敗北は自民全体だという論法は無責任論以外の何物でも無い。かつて、豊臣秀吉は狂気の決断を下し続け誰も止めることができずに朝鮮征伐で多くの日本人が死んだ、ヒトラーも最後まで総統のままで気違いのようにドイツを興廃させても誰も止めるすべがなかった、石破も同じ正に狂気の時代に日本も突入したと言うことだ。石破の無責任、不行跡をとうとう述べても無駄、半年の実績も森山氏や官僚達が踏ん張っていただけで石破は何もせずに総理の椅子にかじりついただけ、すなわち、石破の責任ではなく、こういう人物を選んだ自民党の責任、地元選挙区の責任である事は明確だ。いくら石破を責めても意味が無いからだ。政治家、特に総理総裁の責任は自らが決断をするというのが常だったが、狂気に走った石破の石頭は椅子に死んでもかじりつく保身の極みを見せるだけで政治家としての心構えも志の一片もない。総理総裁は車で言えば運転手だ、いくら豪華な高級車でも大型車でも運転手の手さばきでいかようにもどこにでも行くことができる。ただし、ひとたび事故でも起こせば、これは自動車が悪いという事にはならない。事故の責任はぶつけた自動車ではなく、運転していた者の責任であることは明白なのだ。石破は迷走の運転手だ、3度も事故を起こし選挙に大敗した以上は運転手を変える以外にないのだ。石破自身は運転手は私以外にないと言うが、本当に運転手は石破だけなのかと自民党森山に聞きたい、他の自民党員でもいい、他に運転手はいないのか。車が止まるのは運転手のミス以外にも、交通事故を起こした、燃料切れ、故障、道を間違えた等々あろう、そのためにナビゲーターや同乗者や整備士等いろいろな人々が助けるはずだろう、一体自民党は何をしているのだろうか。運転席にしがみ付く石破を引きずり出して新しい運転手がアクセル踏まない限り、永久にブレーキを踏み続ける政党になるだろう。