ラサール石井とかカンニング竹山とか、アホもバカも政治を騙り、政治家になる輩がいる。もちろん誰が政治家になるのも自由だが、まともな常識を持たないで政治を語ってはいけない。実際、かられの仕事はお笑いタレントであるが、仕事自体では全く面白くもないし、見たくもない顔立ちだ、はっきり言って時間の無駄だからテレビチャンネルは変える。このような連中が、国旗つまり日の丸を毀損する罪は不当でおかしい、日の丸が嫌いな人の自由を奪うのかとか、表現の自由だと叫んでいるそうだ。ならば、おのれらの看板やポスターや住宅表示、表札を汚されたら喜んでみているのかい。自分で無くてもお隣の家の表札や名札を壊している人間がいても自由だからと放置するのかい、そういう法律以前の道徳すら守ろうとしない社会になってもお笑い芸人は都合がいいのかい、結局自分は人気者を思っている内は好き勝手なことを言うが、一度嫌われたら仕事が無くなることは考えないないのかい。確かに日の丸嫌いな人々は賛美し、竹山やサラールの芸を見に来るかもしれないが、いくらもら得るのかい。嫌われたら最後というのは今も社民党や公明党もその現実を見つつあるといえる。石破も嫌われてしがみ付いていた総理大臣の椅子を引き下ろされた、結論はだれもお前達の考えに同調しない、はっきり言って嫌われたら好き勝手なことはできないし、好き勝手なことをするから嫌われるのだ。明治維新から見ても日の丸が世界に与えた影響は日本人として誇りを持つものであり、汚されることはあってはならない。もちろん、非難されるのは「日の丸」ではなく、無能で何もしないどこかの総理大臣や、自分だけは売れて面白い芸人だと傲慢に思い込んで人々に毒づくニセ芸人こそ嫌われ者の汚名を授かる必要があるということだ。







