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恐怖感の補足

アフガニスタンではアメリカ軍が撤退直後、大統領が逃げ出し、アフガン政府は崩壊、瞬く間にタリバンの支配になった。つまりは本来トップにあって指導指示すべき人間が国民全て捨てて、トラックいっぱいの札束とともに消えた、あの選挙は何だったのだろうか。
つまりはタリバン以上にアフガン国民にとっては裏切り者は狂気であり、それはそのまま守るものを喪失した悲壮感であり、恐怖だったのだ。つまりはこういうことは許してはいけないと考えるべきもの。ところが日本の人権主義者は大統領と言えども人権があり、逃げる権利がある以上、ましてや危険が迫っている以上逃亡はやもえないではないかと考えているようだ。そういう人々もいるということを勘案して、国民主権を判断しなくてはならない。とはいえ、皇族のニューヨーク逃亡は誰が判断するなのだろうか。一方で新聞記事ではまたもや多額の税金の無駄使いが指摘されている、皇族の無駄使いは今後の判断だろうが、もともと国の財政も大きな問題がある。それは単年度決算で使い切らないと財務省からきついお叱りをうけるからだ、ましてや2年計画などご法度、つまり国家はその年だけの裁量で運営せねばならず、長期の視野で計画的な国政を司ることはできない。つまりは威張り腐った財務省の支配で日本はダメになったのだ。つぎはぎで計画できる新幹線や高速道路はまだしも、月に人間を送ろうなどと言うのは財務省がある限り不可能。なぜ財務省は日本を牛耳っているかは謎だが、おそらく東大出のエリートが金を分配できるだけでは説明がつかない、そもそも財務官僚が稼いだ金ではないからだ。これもおそらく日本人古来からの権力体制があるのだろう、いつか日本人はとても西洋には敵わないと言ったことがある。お叱りを受けるかもしれないが、一万年以上ひとつの島の中で暮らしてきた日本民族はいつのまにか他国と戦おうという遺伝子は無くなってしまったのだ。確かに半島に上陸したり、太平洋戦争をしたが一部の人間に先導された国内戦の延長と誤解した程度であり、事実大損害のボロ負け、まさに日本人は世界と戦う能力がないことを思い知らされた。これまで刀を差した武士が政治をした時代はあったが、よくよく考えれば常に戦っていたわけではなく、ほとんどの場合、刀は精神的な飾り物過ぎなかったのだと思う。まさか日常から家宝の太刀を振り回すバカはおらず、床の間で恭しく飾っていたのが武士なのだから。もし、これから世界に打ち出していくなら、長期戦略ができる政治制度、財務制度に転換しないといけない、少なくとも余ったからと言って無駄なものを買うのではなく、繰越して予算を残すことも可能にしないと日本は良くならない。

内山家政婦看護師紹介所

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