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砂上の城イラン

イスラエルがイランを攻撃し、その報復でイランがテルアビブをミサイル攻撃、エスカレートする中東だが、間に位置するイラクとか上空を勝手にミサイルが通過されてもイインカな。さて、世界は第二次世界大戦で初めて人類と神との闘いが幕を開けることになった。大虐殺も大量の殺人兵器も、はては原子爆弾さえ神をも恐れぬ人類の野望の象徴である。自ら神と考え神に代わり世界を支配、服従させようとした人間、ヒトラー、スターリン、毛沢東がいる。彼らはナチズム、共産主義、毛沢東中華主義を掲げ神に従うのではなく、人類はその主張する主義に洗脳させることで、神をないがしろにし、神を放棄させ、蛮行虐殺をエスカレートさせた。今現在、神を信じて教会に行くと言うより、人類は自ら世界を変えられると思う人間は多いだろう、それば第二次世界大戦前と後での変化だ。戦前は神を恐れていた人々が神ではなく独裁者の命令のまま戦争することに没頭したことは神の時代が去った証拠でもある。ちなみに、日本は神との闘いではなく、江戸というサムライ精神がようやく消滅させるための日本文化の転換点で、これはこれで仕方が無かった。明治維新、無念の内に戦わずして江戸時代を去った武士魂の最後の勇姿だったのだ。そして天皇もまた神になるというより、現人神と言われながら何一つ知らされず何ひとつ思い通りにならない不遇な環境に困っていたに違いないだろう。神に挑戦した三人の独裁者と日本は根本的に違うのであるが戦争は最後に日本に原子爆弾や沖縄という悲劇に至ってしまった。さて結局、その結果、ロシアは共産主義の亡霊のごときプーチンの悪魔独裁でロシアは亡国の瀬戸際である、猛毒である中華思想に完全に脳死した独裁者習キンペイは14億人諸共地獄に落下中だ、ヒトラーは死んだが世界の自然環境を破壊続ける西洋資本主義社会も破綻の瀬戸際である。そして、イスラムは遅れて神への挑戦が始まった。第二次世界大戦では傍観したイスラム諸国も、戦後のオイルマネーで復活し、結局自爆テロをもって世界を支配するために活動している。偶像を認めない彼らも、結局コーランや聖教者を偶像化し、かれらの聖職者を神として自爆を容認するようではもはや宗教でも偉大なるアラーでもなく、ただのテロリストにすぎない。ましてテロの見返りに多額の身代金を要求するなら犯罪以外の何物でも無い。神の名をダシにしての暴力は、彼らは神を信じていないという証拠でもある。さて、本当にもはや神は人類を見捨てたのだろうか。きっと神は人間の行く末を見ている、その先に神はどう判断するかは神のみぞ知るということを、人類は知らなくてはならない。

内山家政婦看護師紹介所

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