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他人をヒトラー呼ばわりしてはいけない

偉大な政治家石原慎太郎氏に比べ菅元総理の低レベルの精神は幼児以下だろう、大震災の原子炉崩壊時のこの男の無能さのお陰で日本が滅亡に瀕したことを比べれば、ヒトラーはまともな政治家であったと言える。そういう程度の小人に、維新党もただ謝罪しろでは愚かだ。当時民主党政治の愚行についてきちんと説明を求めるのが政治家だろう。このようにただ政治をしている連中は政治の何たるかを知らない。国会議員は法律を作るのが仕事であると同様、政治家は国家の政を行い、すなわち国家としての決定と行動を判断するkとだ、ゆえに国政にはいついかなる時も議論できる論客でなくてはならない。現代の政治家で論客はいるのか、どこにもいないというのが結論であり、その結果がお互いの悪口の言い合いであり、挙句にヒトラーなのだ。前置きはどうでもいいが、人間社会もまつりごとだ。集団の輪に入らないと結局部外者であり、何事も参加していないとだれからも認められないということだ。よくあなたは一億円の価値があるとか、ダイヤモンドの値打ちがあるとかもてはやすが、それはそういう仕事をして世の中に認められた後の話だ。これが誰もが勘違いすることで、人間ははっきり言ってどんなに勉強ができても体力があっても才能が有っても、会社や組織や世間と関わって初めて値段がつくのだ。人間に値段だという表現がおかしいなら評価と言うことだ。会社に入る前はただの無職の青年は一円の価値もない、会社に入社して給料をもらって10万円の価値が出る。そして生涯社会とかかわる中で1億円でもダイヤモンドにでもなるのだ。しかし、この頃はどこにも結び付くことなく、俺は百万円の価値があるとか、年収一千万でなければならないとか勘違いしている人がある。社会から孤立しては何も価値が無いということを社会も認識して、孤立している人々をなんとか輪の中に含める努力、いわゆる政治を行わなくてはいけないと思う。自分勝手に社会から離れて孤立引きこもりをしていては社会がなりたたない、そういう現実には無価値な人材を社会に取り込めないと、最後は暴力と犯罪ではじめて社会に登場するような悲惨な人生でできた社会ができるだろう。

内山家政婦看護師紹介所

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