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検察は恥を知るべきだ

家族四人殺害の事件、袴田事件の再審で無罪判決が出された。真相はまた闇に戻ったが、検察の酷さは法治国家を逸脱しており、一つの犯罪事件というより、国家を信頼を揺るがす大問題だ。仮にたとえ、袴田氏以外に犯人が考えられなくても、犯罪証拠をねつ造するのは論外の犯罪行為であり、これは、近年も厚生労働所の当時村木局長を逮捕した事件等でも検察のねつ造が判明している。さて、そもそも、これは検察の一人が行ったねつ造ではなく、組織でないとできないはなしである。袴田氏の服を用意し、血痕を付けて、味噌ダルの中に仕込む、膨大な手間をかけて行われた行為をだれも疑いもなく行った狂気に、検察組織という権力が凶器に変わった瞬間だ。大体、犯人が犯行後わざわざ、着替えて、おもむろにわざわざ、味噌ダルを掘って証拠品を埋めるだろうか。そんな余裕があれば、燃やすか、どこか川でも流す方が早いと思うはずだ、味噌ダルでなくても土の方がまだ見つからないかもしれない。つまりは犯人の行動心理を無視して、単純に証拠を作り出すための芝居だったということだ。先日も和歌山で大金持ちの老人が若い妻に覚醒剤を飲まされ殺された、これもまた証拠が明確ではない。明確でないから、証拠を作りましょうでは、それは何度も言うが、検察の犯罪である。犯罪も高度化し、証拠も出ない、分からないというケースもあろう、まだ、防犯カメラの活用で状況写真でもでればよいのかもしれないが、闇バイトやオレオレ詐欺は末端の若者が逮捕されても主犯を見つけ出すのは極めて難しいという。こうなると犯人も検察も皆、クソミソ一緒であり、糞か味噌かを見分けることもできなければ、検察も裁判所も国家にとって不要のゴミということになってしまう。

内山家政婦看護師紹介所

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