トップイメージ

「自惚れ」の末路

静岡県の知事川勝が辞職した、退任の挨拶も自画自賛、まさに老いぼれのウヌボレにふさわしい一人舞台だった。仕事自体が独り相撲で日本経済を交代させる要因になったが、投票した静岡県民は当然その分の賠償があるだろう。しかし、こういう自惚れに大衆は愛着を感じているという証拠でもある、付和雷同的に人気のあるトランプ元大統領、自棄になって侵略をすすめるロシアのプーチン、焼け石にかける水すらもはやない習キンペイ、大言ゾーゴの森元文部大臣等々、自己愛の元祖たちには、それに惚れ込む大衆が群がり、盲目的な賛美を送っているのも、「人間」というものの習俗なのだろう。まるで賭博にはまる人間のように、興奮させる何かを持っているからこそ、人々が集い、投票し、金をもたらし、人々は興奮する。強烈な自惚れが支配する社会。昨日は熊本水俣病患者たちに環境大臣が謝罪していたが、あくまでも岸田総理に叱られて渋々謝罪したのだろう。川勝元知事同様、庶民の苦しみなど始めから眼中には環境省はないということだ。ジャニーズの謝罪会見でもマスコミの発言を制限したため物議を醸したのは承知のはずだ、今回は被害者たちの声を聴くと称して、制限時間を越えたのはお前が悪いかのように環境省はマイクを切るなど身勝手ほどにもほどがある。これも自惚れだ、上級公務員は国民や被害者よりもエリート意識が優先し、というよりも自惚れの固まりであり基本的に他人の意見は聞かない、権力を持った自己チュウゆえに高級官僚になれるのだ。しかし、マスコミが見ている前で、被害者のマイクを切る悪行をそもそも見過ごす大臣たるや政治家ではなかろう。役人とは違い、社会の意識をみる政治家が黙っているということは言語道断、国民は黙っていることは危険だ。自惚れ川勝元知事を増上慢にさせてきたのは4回も連続当選させた静岡県民の責任が重大であったということを知るべきだ。そういうこと許していると、いつか独裁政治がはびこるようになるのだ。

内山家政婦看護師紹介所

トップへ戻る